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    <title>間世さんを探して</title>
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    <description>Looking For Mr.MASE</description>
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    <title>1939年の日記から （１） 元日</title>
    <description>　1939（昭和十四）年は卯年。博文館発行のこの年の当用日記が一冊、手元にある。 

　版元による巻末付録に「景勝写真集」のページが設けられているのが不思議な感じだが、そこで小図版を掲げる各地名勝のラインナップは、摩周湖（阿寒国立公園）、奥手稲の雪景（札幌...</description>
<content:encoded><![CDATA[
　1939（昭和十四）年は卯年。博文館発行のこの年の当用日記が一冊、手元にある。 <br />
<br />
　版元による巻末付録に「景勝写真集」のページが設けられているのが不思議な感じだが、そこで小図版を掲げる各地名勝のラインナップは、摩周湖（阿寒国立公園）、奥手稲の雪景（札幌付近）、奥入瀬の渓流（十和田）、松島、犬吠岬（銚子）、焼岳の噴煙、甲州御坂峠より見たる富士、元箱根と蘆の湖、保津川の景勝、黒部渓谷の壮観、大台ヶ原（吉野熊野国立公園）、奈良公園、紀の松島（紀州）、鞆の浦鳥瞰、安芸の宮島、面河渓（愛媛）、開聞岳（鹿児島）、以上である。 <br />
　また別に、「北支中支方面要図」「中支南支方面要図」や、「国家総動員法」全文なども収載、日中戦争がすすむ時期にあることが当用日記の体裁のはしばしに反映されている。 <br />
<br />
　一冊を見ていくと、「金銭出納録」「家庭ノート」「家歴」「戸籍表」「被服寸法控」「住所人名録」等は未記入のままだが、毎日の日記欄はすべて万年筆の細字で几帳面に埋め尽くされている。この日記帖の主人をさしあたり、Ｋ と呼ぶ。 <br />
<br />
　Ｋは元旦６時に起床。神仏礼拝の後、雑煮で祝った。朝のうち来客があり、賀状もかなり早い時間帯に届いた模様、「例年の三分の一位来る」と記す。９時から地域の小学校の拝賀式に参列し、終了後はそのまま宿直室で校長や教師たちと囲碁を打つ。７番打ってすべて負けた。２時に自宅へ戻ると、一家の子どもたちはみな「活動へ出かけたとてシンとしている」。 <br />
　その当時、Ｋは齢四六歳だったはずだ。 <br />
　先妻の産んだ二女一男、1939年現在の妻が産んでいた二男があり、仲良く正月興行の映画を観に出掛けたのだろうか。記述の中に妻の姿は見えてこない。４時に風呂に入っていると、子どもらが帰ってきてまた賑やかになる。 <br />
<br />
　「夕方、縁側の板戸締らず無理したところカマヂが割れてやっとはじれた」。 <br />
　カマヂとは何か？ 南部地方の言葉で、敷居のことを「かまじ」というらしい。Ｋは北海道渡島半島・上磯の人なので、話していた言葉は南部弁というわけではなかっただろうが、ともかく敷居のことと受けとっておく。この縁側のある家は、2008年現在も生きて残っていて、昨年もお訪ねした。江戸末期の民家建築だ。 <br />
<br />
　Ｋはこの頃、養魚場を経営していた。「稲村からやまべ百尾の注文あり、明朝雪降りでなかったら自転車で出かける積りにして」準備をしてから、小雪チラチラするのを心配しつつ６時半頃、雨戸を閉ざした。
]]></content:encoded>
    <dc:subject>1939年</dc:subject>
    <dc:date>2008-01-03T12:58:45+09:00</dc:date>
    <dc:creator>大日方　欣一</dc:creator>
    <dc:rights>大日方　欣一</dc:rights>
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    <title>ＨＰＡ、再出発のご挨拶</title>
    <description>函館市豊川町の「はこだて写真図書館」は、諸事情のため、このたびスペースをいったん閉館するはこびとなりました。
これまでの皆様からのご支援、ご愛顧、大変ありがとうございました。

しかし、同図書館、および併設のギャラリー、カフェの運営をおこなってきたＮＰ...</description>
<content:encoded><![CDATA[
函館市豊川町の「はこだて写真図書館」は、諸事情のため、このたびスペースをいったん閉館するはこびとなりました。<br />
これまでの皆様からのご支援、ご愛顧、大変ありがとうございました。<br />
<br />
しかし、同図書館、および併設のギャラリー、カフェの運営をおこなってきたＮＰＯ法人「はこだてフォトアーカイブス」は、函館を拠点にこれからも引き続き、活動してまいります。<br />
<br />
<br />
当面の指針として、<br />
<br />
１）旧はこだて写真図書館の蔵書、写真資料を散逸させず、その保存に努め、公共の文化的資産として新たな活用・一般公開のかたちを実現させる。<br />
<br />
２）函館を中心とした地域の写真、映像資料の調査研究を継続し、その成果を公表していく。<br />
<br />
３）函館市十字街（末広町）「まちづくり交流センター」内の展示室等で、函館の歴史的写真を中心にした展示企画を定期的に催していく。<br />
<br />
<br />
以上３点を掲げ、これらの実現にむけて努めていく所存です。<br />
はこだて写真図書館ウェブページにて、新たな活動状況を随時お伝えしてまいります。<br />
<br />
<br />
皆様からのご鞭撻、ご支援を、今後もどうぞよろしくお願い申し上げます。<br />

]]></content:encoded>
    <dc:subject></dc:subject>
    <dc:date>2007-09-28T16:05:45+09:00</dc:date>
    <dc:creator>大日方　欣一</dc:creator>
    <dc:rights>大日方　欣一</dc:rights>
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    <title>近刊案内</title>
    <description>『大辻清司の写真−出会いとコラボレーション』
　光田由里、大日方欣一・編
　フィルムアート社　2007年6月5日発行　ISBN978-4-8459-0709-0 C0072　　2400円（税抜）

「モノの不思議さ」を見つめた写真家大辻清司（1923〜2001）は、敗戦後まもなく創作活動をスタート...</description>
<content:encoded><![CDATA[
<span style="font-size:large;">『大辻清司の写真−出会いとコラボレーション』<br />
　光田由里、大日方欣一・編<br />
　フィルムアート社　2007年6月5日発行</span>　ISBN978-4-8459-0709-0 C0072　　2400円（税抜）<br />
<br />
「モノの不思議さ」を見つめた写真家大辻清司（1923〜2001）は、敗戦後まもなく創作活動をスタートし、前衛美術家の斉藤義重、阿部展也、詩人・批評家瀧口修造らとの交流をとおし、実験的な協働制作を試みたことでも知られています。1960年代からは、写真教育の場に立つようになり、その教室からさまざまな優れた写真家（高梨豊、潮田登久子、牛腸茂雄、畠山直哉ほか）が巣立ちました。写真についての思索を綴るエッセイストとしても重要な仕事を残しています。<br />
大辻という人の仕事を、生涯の軌跡にそってたどる展覧会が、まもなく、東京の渋谷区立松濤美術館で催されます（2007年6月5日〜7月16日）。<br />
展示にあわせて同時出版される本書は、出品作を収めたカタログであるとともに、大辻執筆のエッセイを多数再録したアンソロジーとして編集されており、この写真家が積み重ねた思索のあとをたっぷり味わうことができるはずです。（瀧口修造に宛てて自らの写真観を縷々綴る長文の手紙や、来日した名ピアニストのアルフレッド・コルトーを撮影した印象記なども収録。）<br />
あまり類のない、面白い本ができた、と編者の一人として自信をもっておすすめする次第です。大辻清司の新刊、どうぞご高覧お願い致します。<br />
<br />
　　＊　　　＊　　　＊<br />
<br />
この本を準備しているさなか、戦後すぐの1950年前後に刊行されていた『月刊写真手帖』（編集人・奈良原弘）という雑誌があったことを知りました。若い大辻清司が、最初に作品を発表した媒体がこの雑誌だったのですが、その1950年1月号をひもといていて、大辻作品のすぐ隣りのページに来て、はたと視線が固まりました。そこに、気になるあの人の名前が記されていたから。<br />
函館出身の懐かしい写真家、間世潜（ませひそむ）の名です。<br />
文・奈良原弘、撮影・間世潜による「木村伊兵衛自宅訪問記」という記事。そのテキスト冒頭は次のように始まっていました。<br />
<br />
<blockquote>「十一月の中旬、時雨模様のある寒い朝、思いついたが吉日と、間世さんにカメラ担当を連絡して午前九時に省線鶯谷駅ホームで待合わせ、二人で木村伊兵衛さんの寝込みを襲うことにした。この辺は戦災を免れた家と焼跡に建った家とが背中合せになっていて、以前と大分趣が変わってしまった。根岸名物の御行の松はかなり前に枯死したと聞いていたが、来て見るとその名残りの切株も黒く焼けただれ、傍らに名ばかりの細い松が植えられ、堂宇はなく、一基の碑があるばかり、没趣味なバラックに囲まれたわびしい空地になっている。この前を湾曲して流れていた音無川も今は暗渠となって跡形もない。木村さんの家は、大言海の著者故大槻文彦博士の屋敷の横を入って行った所と記憶していたが、町の様子がすっかり変わっていて見当がつかない。すると眼の前にポリス・ボックスがあるので番地を云って尋ねると、この先の左側に下駄屋があるから、その辺で聞きなさいと教えてくれた。下駄屋を目当てにうろうろしていると、『おおい！』という声がする。ふと向こうを見ると、建仁寺垣をめぐらした一軒の平家の窓に、木村さんの顔がこっちを見て笑っている。<br />
　『なんだ、僕のとこへ来たの、何か用？』<br />
　うしろに控えた間世さんは、携帯用ライトやシネ三脚を小脇にかかえた物々しい格好なので、木村さんもちょっと驚いた様子であったが、『まあ、お入んなさい』と愛想よく迎え入れる。」</blockquote><br />
<br />
つい長く引用してしまいました。朝の根岸、焼跡の匂いにする雨の町に、間世さんが機材をたくさん抱え登場しています。（大辻作品「いたましき物体」のすぐ隣りで。）<br />
写真家間世潜の事跡を、ひきつづき探してみたいと思います。後日談はまた、あらためて。
]]></content:encoded>
    <dc:subject>間世潜</dc:subject>
    <dc:date>2007-05-20T21:39:03+09:00</dc:date>
    <dc:creator>大日方　欣一</dc:creator>
    <dc:rights>大日方　欣一</dc:rights>
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    <title>久生十蘭オフィシャルサイト準備委員会</title>
    <description>間世ブログ、だんだん動き出したいと思っているのですが、
函館ゆかりの作家久生十蘭についてのブログと出会ったので
お知らせまで。

http://blog.livedoor.jp/hisaojuran/

間世潜とはほぼ同年代、しかも久生は若い頃に函館新聞、間世のほうは北海タイムスの記者...</description>
<content:encoded><![CDATA[
間世ブログ、だんだん動き出したいと思っているのですが、<br />
函館ゆかりの作家久生十蘭についてのブログと出会ったので<br />
お知らせまで。<br />
<br />
<a href="http://blog.livedoor.jp/hisaojuran/" target="_blank">http://blog.livedoor.jp/hisaojuran/</a><br />
<br />
間世潜とはほぼ同年代、しかも久生は若い頃に函館新聞、間世のほうは北海タイムスの記者だったので、その時期も近いようであり、お互い顔見知りであったろう、と想像できますね。
]]></content:encoded>
    <dc:subject>雑記帖</dc:subject>
    <dc:date>2006-06-06T03:42:59+09:00</dc:date>
    <dc:creator>大日方　欣一</dc:creator>
    <dc:rights>大日方　欣一</dc:rights>
  </item>

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    <title>新刊本の表紙に、間世さんの写真発見</title>
    <description>書店で見かけた新刊、

新潮社　とんぼの本
『永井荷風 ひとり暮らしの贅沢』 
 永井永光、水野恵美子、坂本真典 著 
 4-10-602142-0 

http://images-jp.amazon.com/images/P/4106021420.01.LZZZZZZZ.jpg

この表紙に使われている荷風のポートレイトは、間世潜...</description>
<content:encoded><![CDATA[
書店で見かけた新刊、<br />
<br />
新潮社　とんぼの本<br />
『永井荷風 ひとり暮らしの贅沢』 <br />
 永井永光、水野恵美子、坂本真典 著 <br />
 4-10-602142-0 <br />
<br />
<a href="http://images-jp.amazon.com/images/P/4106021420.01.LZZZZZZZ.jpg" target="_blank">http://images-jp.amazon.com/images/P/4106021420.01.LZZZZZZZ.jpg</a><br />
<br />
この表紙に使われている荷風のポートレイトは、間世潜撮影です。<br />
はこだて写真図書館「間世潜の部屋」に展示しているものと同じカット。<br />
（同書では、詳細不明の写真として扱われていました。）
]]></content:encoded>
    <dc:subject>間世潜</dc:subject>
    <dc:date>2006-05-28T02:40:48+09:00</dc:date>
    <dc:creator>大日方　欣一</dc:creator>
    <dc:rights>大日方　欣一</dc:rights>
  </item>

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    <title>ｄｉｓｔａｎｃｅ</title>
    <description>http://www.chukyo-u.ac.jp/c-square/top.html
http://www.chukyo-u.ac.jp/c-square/2006/75/75top.html

６月26日（月）−７月29日（土）の会期で、名古屋・中京大Ｃスクエア
「distance　関口正夫・三浦和人・牛腸茂雄展」が開催されます。
（リーフレットに寄稿し...</description>
<content:encoded><![CDATA[
<a href="http://www.chukyo-u.ac.jp/c-square/top.html" target="_blank">http://www.chukyo-u.ac.jp/c-square/top.html</a><br />
<a href="http://www.chukyo-u.ac.jp/c-square/2006/75/75top.html" target="_blank">http://www.chukyo-u.ac.jp/c-square/2006/75/75top.html</a><br />
<br />
６月26日（月）−７月29日（土）の会期で、名古屋・中京大Ｃスクエア<br />
「distance　関口正夫・三浦和人・牛腸茂雄展」が開催されます。<br />
（リーフレットに寄稿した文章をここにも載せてみます。）<br />
<br />
<br />
<br />
<strong>〈習慣としてのスナップショット〉</strong><br />
<br />
　この展覧会は、二つのパートで構成されている。<br />
　会場入口からの第一のパートでは、今からおおよそ30数年前、1960年代後半から70年代初めに写された光景の群れがならぶ。そろって1946年生まれの牛腸茂雄、関口正夫、三浦和人が、同じ東京渋谷の専門学校・桑沢デザイン研究所の写真コースで学び、撮る活動をスタートさせて数年のあいだの、それぞれのスナップショットだ。<br />
　その頃の三人の写真を見直すと、目の生理や体質に違いがあり、けして一括りにはできないものの、そこに共有しあう姿勢や、根底をなす近しい態度といったものを窺うことはできるだろうと思う。<br />
　かくべつ前提となるような主題やコンセプトを立てずに、気ままに歩きだして、自分がふと、なにを見るのか、なにに反応してシャッターを押すのか、歩きつつ撮る経過を味わってみる。どっしり重心を一つところに下ろすのではなく、わりあい軽いステップでほうぼうへ動いていく。画面のどこか一箇所に強い意味の中心をもうけず、クローズアップしない、周囲を広めに取り入れるフレーミングで、偶々身をはこんだ（横切っている途中の）その場の日常的なものごとを写す。<br />
　流動的な現実のただ中で、今ある状態を感じとるすべとして、歩くことと撮ることの習慣を養っていく。若い彼らはこの時期、スナップショットの行為をおもいおもいに、日々習慣化しようとしていった。<br />
  そうした積みかさねをつうじ、その時々の息づかいとともに綴られた、自己と取り巻く世界とをめぐる視覚的記述。牛腸と関口の写真集『<strong>日々</strong>』（1971年刊）、そして三浦が沖縄滞在中に撮影した「<strong>函の中のかわたれどき</strong>」シリーズ（72年）からの諸作。<br />
<br />
　続く第二のパートでは、関口、三浦の撮影行為がその後にたどってきた現在までの流れから、両者が今の眼で自分の写真を眺め直し、新たに選びぬいたショット群をならべる。こちらのパートは、いわば、30代で夭逝した牛腸茂雄（1983年没）に対する、二人の友からの、時を経た遠いメッセージの投げ返しでもあるはずだ。<br />
　先ほどふれた関口との共著による写真集『日々』を自費出版した後、牛腸は、日常世界のフィールドワークをさらにすすめ、切り口の違う二冊の写真集『SELF AND OTHERS』（77年）、『見慣れた街の中で』（81年）を遺した。彼は思慮深い一面を持ち、アイデア豊富な、そしてまとまりある作品をかたちにして生を刻むことに熱意を注ぐ写真家だった。その作品行為は、近年も美術館でのレトロスペクティブ展示がおこなわれるなど、たびたび注目を集め、多くの人たちの心に反響をもたらし続けている。<br />
　関口正夫と三浦和人は、そうした牛腸の写真の展開ぶりを同時代的に、近いところから見つめ、また、彼がいなくなった後もたぶん意識のうちでそれを反芻してみながら、各々の持ち場で、それぞれにスナップショットの行為をかさねてきた。1960年代末に緒についた歩くことと撮ることの習慣を、40年あまりにわたって。<br />
　関口の「<strong>こと</strong>」、三浦の「<strong>まずは記録まで</strong>」。彼ら二人が、青年期を過ぎて今へいたるまでに、眼差しをどのように接いできたか。それをまとまったかたちで対照しつつ眺められるのは、今回が初めての機会となる。牛腸を含めた三人の眼の履歴が、互いにどう響きあうか。はたして、どんな写真と写真の対話を呼び起すだろうか。<br />
<br />
　自分が歩いているすぐ足元の日常から、撮ることが始まっていく。習慣としてのスナップ行為をとおして、露わになってくるものをだいじにする。そしてまた、三者三様ではあるが、彼らはそれぞれ、カメラアイで人を感じようとする、他人の感触を求めていこうとするところにも、共通項を持っているといえよう。<br />
　スタートの頃、牛腸はよく、人の敏捷な身ぶり、伸びをしたりジャンプしたり駆け出したりする動きに触発され、シャッターを押していた。それとはだいぶ違って、関口の視線は当初から、他人のつかのまの虚をつく、放心の一瞬へと惹かれる傾向があり、また「こと」のスナップ群を撮っていく中で、他人が引きずっているカラダや気分への感応を深めてきているように見うけられる。いっぽう三浦のスナップショットには、他人の存在感をキャッチしつつ、同じ場所にいることを体感し、一時ではあれそこに溶けこんでいたいという衝動らしいものが、画面から滲むことが多いのではないだろうか。<br />
　ともあれ、観客としてこの会場に立つとき、どのようなフィールドがそこに立ちあがってくるのか。三人の写真と、じっくり語らってみたいと思うのである。<br />

]]></content:encoded>
    <dc:subject>短いエッセイ</dc:subject>
    <dc:date>2006-05-27T03:30:04+09:00</dc:date>
    <dc:creator>大日方　欣一</dc:creator>
    <dc:rights>大日方　欣一</dc:rights>
  </item>

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    <link>http://maseblog.hpaorg.net/?eid=137762</link>
    <title>お汁粉屋の写真家</title>
    <description>　一つの土地に根をおろし、そこで生涯をまっとうする人もいる。一つところに留まらずに、あるとき、別の土地へ移って、新しい暮らしを始めていく人もいる。
　函館生まれで、北海タイムスの新聞カメラマンだった小林政次（1904〜59、後に“間世潜”と名のる）は、その職業...</description>
<content:encoded><![CDATA[
　一つの土地に根をおろし、そこで生涯をまっとうする人もいる。一つところに留まらずに、あるとき、別の土地へ移って、新しい暮らしを始めていく人もいる。<br />
　函館生まれで、北海タイムスの新聞カメラマンだった小林政次（1904〜59、後に“間世潜”と名のる）は、その職業柄、勤務地の転属をいくたびか経験し、札幌や青森県大湊にいた時期もあった。しかし、第二次大戦中までは、出身地で培われた地縁血縁から遠ざからずに、函館の人々とのつながりを親しく保って仕事していたことがうかがわれる。その彼が、戦争が終わって同社の東京支局に赴任すると、まもなく勤めを辞しフリーとなり、自らの決断で、拠点をすっかり東京へ移した。<br />
　戦時中までの函館から、焼け跡闇市時代の東京への思いきった場面転換。小林政次が写真家「間世潜」を名のりだすのは、この時点からのことだ。<br />
　新たな生活の背景となったのは、上野の山に近い、谷中近辺の地区だった。彼を取り巻くことになった東京での交流の模様にかかわる証言を、最近ある本の中に見つけたのでご紹介したい。浅尾丁策著『昭和の若き芸術家たち』（芸術新聞社、1996年刊）という一冊から。<br />
<br />
　故・浅尾丁策さん（1907〜2000）は、画材商、そして本邦初の専門的な油絵修復の職人として活躍された方だ。神田駿河台下の竹見屋画材店で修業し、1927年独立、上野桜木で浅尾拂雲堂を営んだ。多くの画家たちの制作と、間近にかかわり、交流した歳月を自ら書き綴った、半生記『谷中人物叢書 金四郎三代記』（1986年刊）を上梓しておられ、その続篇にあたる『昭和の若き芸術家たち』では、敗戦直後からの日々を回想している。<br />
　戦争中に自由を奪われ、画材を手に入れることもままならなかった美術家たちが、戦後になって活動を再開していく様子を伝えた、いろいろと興味深いその記述の中に、とつぜん、間世潜が登場してくる。あるとき（1947、8年頃かと思われる）、浅尾さんは自転車で谷中萩寺のそばを通りかかった。<br />
<blockquote>　「フト見ると鄙びた汁粉屋が目についた。そして入口左手に『間世潜写真展』と貼り紙がしてあった。間世潜という面白い名前にひかれた私はお汁粉が嫌いでなかったので、道端に自転車を立てかけておいて店内に入ってみた。風景や人物の芸術写真、なかなかの出来栄えと見た私は、汁粉を運んできた、若いきれいな奥さんらしい人に、この写真を撮られたのは、どういう方ですか、と聞いてみた。／アナタ！ との声につられて仕切りの暖簾を分けて、四十がらみの小太りのニコやかな本人が現れ、どうぞこちらへお入り下さいと奥の部屋に導かれた。そこは立派なスタジオになっていて大きな机の上には沢山の写真が山積みにされていた。」（同書30頁）</blockquote><br />
　お汁粉屋の暖簾の奥から現れた彼、すなわち写真家間世潜は、この出会い以降、浅尾さんに仲立ちされ、新たな人々とつながりを持つようになったらしい。当時、浅尾さんは自分の店の倉庫二階に、「プール・ヴー美術研究所」（命名は彫刻家木内克による）を開き、人物デッサンを学ぶ人たちのための場とし、また、研究所に併設して小さな画廊を運営し始めていた。この画廊で1948年６月、谷中近辺に住んでいた新鋭・中堅どころの美術家たちのグループ「カルチェ・ヴァル」（谷中という名称をフランス語におきかえて名づけたもの）の小品展が催され、野間仁根、阿以田治修、鶴岡政男、朝倉摂、田代光、大河内信敬、長谷川三千春、等々の人たちにまじって、間世潜も自作を出品しているということだ。その当時撮られた、カルチェ・ヴァルのメンバーたちの集合写真（同書35頁掲載）の中にも、間世さんの微笑む姿を見つけられる。谷中の芸術家たちのネットワークに加わり、彼はそこで、さまざまな発想上の刺激や糧を得たことだろう。<br />
　翌1949年、浅尾さんはデッサンのための女性モデル紹介業をも本格的に手がけだすのだが、戦後になってからの間世の写真活動が、女性を撮ることを軸として繰り広げられたことを考えあわせると、いっそう興味深く思われてくる。焼け跡が残る東京で、若い画学生たちが女性デッサンにとりくむ、その気運にふれ、近しくそうした光景を目の当たりにしながら、間世さんはカメラで女性像を描きだすことに打ち込んでいったのだ。<br />
<br />
　同書にはまた、プール・ヴー美術研究所の記念イベント（1953年）を、間世さんのアイデアで浅草のストリップ劇場「ロック座」で開催したいきさつが記され、また、間世さんの代表作『ライカ写真集トラピスチヌ大修道院』の撮影が、浅尾さんの隣家に住んでいたドミニコ会修道院のルーベル神父による橋渡しで、許可され、実現するはこびになったことが語られている。<br />
　それにしても、谷中初音町の彼のスタジオで、お汁粉屋も営んでいたとは知らなかった。ほぼ同じ頃、間世さんより一世代下の写真家大辻清司さん（間世さんの遺したアドレス帖にその氏名と住所が書きとめられていた）は、新宿のバラック建てのスタジオで、製麺加工（うどん作り）を副業としていた、と、ご本人からうかがったことがあるが、どちらも戦後の匂いを伝えるエピソードという気がする。フリーの写真家と食べ物の商いの兼業で、今日を食いつなぎ、活動していく姿。浅尾さんの証言をつうじ、また少し、写真家間世潜のいた世界に近づく手がかりを授けられた。<br />

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    <dc:subject>間世潜</dc:subject>
    <dc:date>2006-04-24T18:40:22+09:00</dc:date>
    <dc:creator>大日方　欣一</dc:creator>
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    <title>間世ブログを、はじめる</title>
    <description>2002年８月にWeb上で始めた「潜日誌」（写真家間世潜の事跡を追いかけるのをテーマとしつつ、身辺雑記もまじえた日録ページ）は、途中、たびたび中休みしながら書いてきたものだが、ここのところ長く中断した状態になっていて、もう続けないのか、などと人に訊ねられもし...</description>
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2002年８月にWeb上で始めた「潜日誌」（写真家間世潜の事跡を追いかけるのをテーマとしつつ、身辺雑記もまじえた日録ページ）は、途中、たびたび中休みしながら書いてきたものだが、ここのところ長く中断した状態になっていて、もう続けないのか、などと人に訊ねられもした。続けるつもりだ。<br />
月日がだいぶ経過していることに、いま、少々茫然としているところだが、この間に、当初は思いもよらなかった出会いがあり、間世さんの姿がゆっくり視界の遠くに見えかかりだしてきている。<br />
<br />
これまでの日誌記事をブログの形式へ移した。<br />
「間世さんを探して」のタイトルで、再開しよう。<br />
直接、間世さんに関わりのない、私（大日方）の活動に関わる報告や、所感なども書き込むことになると思うが、どこかでつながりがでてくるかもしれないと感じつつ、そうするのである、きっと。<br />
<br />
現時点で、間世さんの履歴などについて把握できていることは、右欄「Profile」に記しておいたので、ご参照いただければ幸いです。では、再開。<br />

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    <dc:subject>間世潜</dc:subject>
    <dc:date>2006-03-25T05:05:56+09:00</dc:date>
    <dc:creator>大日方　欣一</dc:creator>
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    <title>訂正</title>
    <description>　日誌の続き。
　これまで、ここに書き込んできた中で、間違いがあることが判った。一昨日、写真家間世潜のご長男、間世たけ志さん（写真家、故人）の奥様に初めてお目にかかる機会を得た。「間世さんを探して」と題するページを開いて、幾星霜。ここへ来て、突然嵐のご...</description>
<content:encoded><![CDATA[
　日誌の続き。<br />
　これまで、ここに書き込んできた中で、間違いがあることが判った。一昨日、写真家間世潜のご長男、間世たけ志さん（写真家、故人）の奥様に初めてお目にかかる機会を得た。「間世さんを探して」と題するページを開いて、幾星霜。ここへ来て、突然嵐のごとく間世さんに急接近できた思いだ。たくさんのお話を伺えた。<br />
<br />
<br />
　まず、間違いの訂正を幾つか。<br />
●間世潜の本名は、小林政治ではなく、政次であった。戸籍謄本のコピーを確認すると、出生地は函館・松川町、1904年生まれ。<br />
●『ライカ写真集トラピスチヌ修道院』を自費出版したため、経済的に逼迫し、谷中初音町のスタジオを閉じ、浅草へ移った、とする木村伊兵衛の証言（桑原甲子雄が書いた記事中で紹介されている）は、憶測の域を出ないもので、実際には別に明瞭な理由があった（家庭内の事情による）。<br />
●木村伊兵衛の追悼文では、生前の間世潜が「カクテル」を愛飲したように記されているが、少なくとも晩年はもっぱらビール党だった。しかもアサヒビールしか呑まなかった。浅草のアサヒビアホールへは月々に相当額の支払いをしていた、とのこと。<br />
●間世潜には「二人の娘」ではなく、二人の息子さんがいる。次男の方は、大学教授として今も活躍されている。<br />
●トラピスチヌ修道院の撮影を始める以前から、間世潜はクリスチャンだった。（撮影のために洗礼を受けた、という記事は誤り。）<br />
<br />
<br />
　長男・間世たけ志さんの奥様は、1958年頃、晩年の間世潜のスタジオで働かれた方で、深い尊敬の念をこめ、この写真家の思い出を語って下さった。彼愛用の太縁眼鏡に触らせていただいた。元浅草のお寺へご一緒し、間世さんのお墓にお参りしてきた。
]]></content:encoded>
    <dc:subject>間世潜</dc:subject>
    <dc:date>2005-03-17T01:17:26+09:00</dc:date>
    <dc:creator>大日方　欣一</dc:creator>
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    <title>音楽の旅　（函館）</title>
    <description>　雨の函館。いつも行く棒ニ森屋裏の喫茶店でモーニングセット。
　新聞でスティーヴ・レイシーさんの訃報を知る。十数年前、富樫雅彦、ドン・チェリー、ディヴ・ホランドとのクァルテットでのコンサートを筑波AKUAKUでやった、あのニ晩は、わが生涯最良の時の一つである...</description>
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　雨の函館。いつも行く棒ニ森屋裏の喫茶店でモーニングセット。<br />
　新聞でスティーヴ・レイシーさんの訃報を知る。十数年前、富樫雅彦、ドン・チェリー、ディヴ・ホランドとのクァルテットでのコンサートを筑波AKUAKUでやった、あのニ晩は、わが生涯最良の時の一つである。黙祷。<br />
　和光デパート地下の古本屋、今回は音楽関係書、楽譜などがかなり大量に出ていた。伊福部昭著『音楽入門』と、探していた園田高弘著『音楽の旅』をしめて1000円で入手。これはしみじみ嬉しい。<br />
　本日6月10日は「路面電車の日」、市内、路面電車どれだけの区間乗っても均一200円也。<br />
　はこだて写真図書館で津田さんと、もろもろの件につき打ち合わせ。星龍軒のラーメンを食べ、空港へ。函館空港も改装がすすんでいた。<br />
　夜遅く、自宅へ辿りつく。今度の巡業は、非常におもしろかった。<br />

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    <dc:subject>北海道</dc:subject>
    <dc:date>2004-06-10T01:12:27+09:00</dc:date>
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    <title>電信蘭を見る　（室蘭／函館）</title>
    <description>　午前中いっぱい、「港の文学館」収蔵室で調査。また来ようと思う。
　ジャズの流れる蕎麦屋でなにか食べ、ふらふらと歩いていたら行き当たって、「室蘭青少年科学館」という公立の施設に入館。室内展示を見るともなく茫然と辿り、建物に隣接した植物園に歩をすすめる。...</description>
<content:encoded><![CDATA[
　午前中いっぱい、「港の文学館」収蔵室で調査。また来ようと思う。<br />
　ジャズの流れる蕎麦屋でなにか食べ、ふらふらと歩いていたら行き当たって、「室蘭青少年科学館」という公立の施設に入館。室内展示を見るともなく茫然と辿り、建物に隣接した植物園に歩をすすめる。温室がある。<br />
　誰もいない温室で、ウツボカズラをはじめ、びっしりと並ぶ熱帯性多肉質の植物群に取り巻かれる。その昔、小学館や学研の植物図鑑、園芸図鑑などの挿画で見ていたのとそのままの光景にクラッとくる。 数日前、札幌でのトークイベントで、掛川写真の出発点が植物撮影にあることを話し、1930年代の作品図版を引用した、あの写真に映っていたモンステラ（電信蘭）も、そこに葉っぱを広げている！<br />
　どう考えたらいいのか？ と自問しながら、室蘭の温室をぐるぐる経巡った。掛川さんの写真の起源の場所に立ち会った、という印象を抱かされた。<br />
　午後２時頃、室蘭発のJRでまず東室蘭へ。ここで特急に乗り換えて函館へ向かうつもりが、また間違えた。札幌行きに乗り込んでしまい、しかも乗車券点検の車掌さんに指摘されるまで、気づきもしなかった。これには慌てた。仕方ないので、登別駅で下車して、次ぎの函館行き特急を待つ。２時間くらい。<br />
　登別の駅員さんはいい人だった。改札を出るのをとくに許してもらい、駅周辺を歩く。登別中学前の「知里真志保の碑」と対面することも出来て、よかった。駅前にある赤鬼の像のうしろのベンチに腰かけ、赤鬼の背中を眺めながら、川戸正嗣さんに電話をかけてみた。つうじた。<br />
　特急で函館までむかう車中では、窓に顔をはりつけて沿線の眺めを味わって飽きなかった。噴火湾岸の風光を眼に沁み込ませてみた。仲宗根さんの娘さんが働くドライブイン・レストランも見えた。駒ケ岳山麓、大沼公園を通り抜けるあたり、圧巻。<br />
　夕方６時半頃、函館の新しい駅舎に着く。はこだて写真図書館へ。津田さんと数ヶ月ぶりに対面。元・月光少女の浜野さん、博物館好き写真好きの佐藤さんをまじえ、歓談。北海道写真史の始祖の一人、田本研造の子孫の方が営んでいる十字街の創作料理の店「田本」に立ち寄る。ここでコーヒー豆を漬けこんだ韓国焼酎というものを呑んだ。<br />

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    <dc:subject>北海道</dc:subject>
    <dc:date>2004-06-09T01:10:26+09:00</dc:date>
    <dc:creator>大日方　欣一</dc:creator>
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    <title>トッカリショで佇む　（室蘭）</title>
    <description>　朝５時に覚醒、イタンキ浜を散歩する。サーファーが何人か、海にいる。空がだんだん晴れ上がってきた。
　朝食後、ユースを発ち、トッカリショ （アザラシのいる場所、という意味のアイヌ語地名らしい）へ向かう。崖下の浜へ降りていく途中で、下から見知らぬ男性に「...</description>
<content:encoded><![CDATA[
　朝５時に覚醒、イタンキ浜を散歩する。サーファーが何人か、海にいる。空がだんだん晴れ上がってきた。<br />
　朝食後、ユースを発ち、トッカリショ （アザラシのいる場所、という意味のアイヌ語地名らしい）へ向かう。崖下の浜へ降りていく途中で、下から見知らぬ男性に「オビナタさん！」と声を掛けられる。 どういうこと？ 北海道新聞の胆振支局の方が、待ち受けておられたのでした。<br />
　掛川さんの写真で見ていたのと、そのままではないが、しっかり連続している眺め。浜辺ちかくには二三軒の民家があり、暮らしの手応えをきざんでいた。干した昆布を手入れしているおばさんに吉田さんが話しかけ、長閑な時間が流れる。崖を見上げてカメラをかまえていたら、酒井さんから「かなりあやしい」と笑われる。<br />
　次いで、室蘭市街の「港の文学館」を訪問。車を降りた瞬間、トッカリショの浜で拾ってポケットにしのばせておいた漁船用の電球をとりおとし、パリッと砕ける。しまった！ 同行の阿部さん、外岡さんに破片をあつめるのを手伝っていただかねばならなくなり、すみませんでした。<br />
　「港の文学館」にて月岡正明さん（有珠山撮影で掛川さんと同行90回という経験をお持ちのアマチュア写真家）にお目にかかり、収蔵されてある掛川源一郎さんの写真、資料を拝見。そうとう多数のものがここにあることを知った。そこで、近くのジャズの流れる蕎麦屋で昼食をとったあと、今回のツアー一行の皆さんと別れて、一人、文学館に残ることにした。皆さんは登別へ。またいつかお逢いしましょう。<br />
　夕方の閉館時まで、「港の文学館」の収蔵室にこもる。50年代からのさまざまな展示につかったのであろうパネル貼りの作品が、たぶんほとんどすべて現存しているのではなかろうか。また、印刷物資料のファイルもきちんと揃っている。パニック気味に興奮しながら、ノートをとりまくった。<br />
　夜、室蘭市内をぶらつく。「あたらし屋」という古本屋で、なぜか手が伸び、尾辻克彦 『雪野』を購入。
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    <dc:subject>北海道</dc:subject>
    <dc:date>2004-06-08T01:08:19+09:00</dc:date>
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    <title>仲宗根さんを訪ねる　（長万部／室蘭）</title>
    <description>　明け方、宿泊先の部屋で足を滑らせ転倒。ケガはない。 朝８時半、札幌を発つ。植村佳弘さん、酒井広司さんの車２台で、掛川さんの撮影地へ再訪ツアー。吉田ルイ子さん以下、参加者７名。
　定山渓温泉を通過し、喜茂別で味噌団子、キャラメルをもとめ、洞爺湖を一望し...</description>
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　明け方、宿泊先の部屋で足を滑らせ転倒。ケガはない。 朝８時半、札幌を発つ。植村佳弘さん、酒井広司さんの車２台で、掛川さんの撮影地へ再訪ツアー。吉田ルイ子さん以下、参加者７名。<br />
　定山渓温泉を通過し、喜茂別で味噌団子、キャラメルをもとめ、洞爺湖を一望して、やがて噴火湾岸へ。<br />
　豊浦の礼文華漁港 （掛川さんがドキュメントした“両足のない漁師陶文太郎さん”ゆかりの地）、アイヌ・コタンのかつてあった旭浜をめぐり、長万部のドライブイン・レストランで昼食。カニメシなど。ここで、 “大地に生きる／長万部沖縄村” で描かれた開拓農家・仲宗根さん一家の長女の方がウェイトレスとして働いていらした。掛川写真の時分とかわらぬ可愛さ。<br />
　仲宗根さんのお父さん、お母さんもお達者で、開拓当初からと同じ土地に暮らしておられる。そのお宅を訪問。掛川さんが毎週当地へ撮影にかよっていた時期のことなど、伺った。けっこう沢山しゃべってくれる方々。沖縄の人たちとの行き来は今も続いているらしい。躑躅など咲く前庭の植栽のなかで記念撮影。<br />
　 そこに猫がいた。小雨が振りだした。数年前に開通したという高速道路で、有珠へむかう。バチラー記念堂、有珠善光寺をめぐる。<br />
　そして室蘭へ至る。こういうところなら戦時中、米軍から艦砲射撃を受けたのもわかるなあ、等々と談じつつ、白鳥大橋を渡る。 …その少しさきで、走っている車中から吉田ルイ子さんの生家を見た。ここから望む工場地帯の眺めは、往時とそんなに違わない、と吉田さん。<br />
　地球（チキウ）岬に立つ。夜は、輪西地区のヤキトリ（といっても豚をつかうらしい）店で、室蘭の方々とわが一行とで交歓。 吉田さんに、「文章から受ける感じと、直接会った印象がずいぶん違う」 と、ご指摘を頂戴する。そういうギャップについては、５年くらい前に敬愛する写真家のＴさんからもグサッと云われた。<br />
　イタンキ浜ちかくのユースホステルに宿泊。部屋で半分眠りながらビール呑んでいたらしい、あとで聞くと、どうも。<br />

]]></content:encoded>
    <dc:subject>北海道</dc:subject>
    <dc:date>2004-06-07T01:06:17+09:00</dc:date>
    <dc:creator>大日方　欣一</dc:creator>
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    <title>掛川さんを語る　（札幌）</title>
    <description>　天気上々。午前中、北大で開催中の「水俣」展、北大図書館を見る。
　市街を少し歩き、喫茶店シャノアールで午後のイベントについて腹案を練る。
　狸小路のラーメン屋に入ったのち、酒井さんとおちあい、彼の仕事場へ。テヘランあたりの古い中庭つきビルみたいな建物...</description>
<content:encoded><![CDATA[
　天気上々。午前中、北大で開催中の「水俣」展、北大図書館を見る。<br />
　市街を少し歩き、喫茶店シャノアールで午後のイベントについて腹案を練る。<br />
　狸小路のラーメン屋に入ったのち、酒井さんとおちあい、彼の仕事場へ。テヘランあたりの古い中庭つきビルみたいな建物の一室だった。いいネジロで、うらやましい。 ここで掛川さんのネガを見せてもらった。酒井さんは同じ年齢のはずなのに、70年代末、池袋西武美術館で開催されたアヴェドン展を見ているんだって。ちょっと口惜しい。<br />
　午後３時から、リレートーク「掛川さんのしごとをめぐって」（北海道立文学館）。 書画カメラ、スライドプロジェクターをつかいながら１時間ほどしゃべる。そのあと、吉田ルイ子さんが登場、バトンタッチ。さらに後半で、今回の掛川展準備にたずさわった立場から、酒井さん、谷口さんにも発言を求めた。<br />
　自分でなにを語ったか、細かくはよく憶えていないが、北海道開拓写真へ言及したところについて、あとで掛川展準備スタッフだった阿部さん（プリントのスポッティングを担当）からレスポンスを貰えた。また、アウグスト・ザンダーをかなり唐突に話しの中に登場させたら、砂澤涼子さん（ビッキさんの奥さん）から、あのドイツの写真家はだれ？と、若干の質疑応答を立ち話にて。<br />
　写真家の仙北慎二さんにカメラを手渡し、イベントの模様を撮影していただく。「いい写真撮りましたよ」と言っていたのが、なにか怖い感じ。あと、会場で鮫島晶子さんから、「べてるの家」の本をいただいた。<br />
　どうしてここで会うのかわからない人も聞きにきてくれた。先ごろ、「写真の会」賞を受賞された若い写真家、北野謙さんが…。たまたま所用で北海道に来ていたところであったらしい。打ち上げの席 （ジンギスカン大食する）で、北野さんの話をだいぶ聴かせて貰った。旅先で初対面というのは、会話がわりあいはずみます。<br />
　さらに居酒屋で二次会、フォトエディターの堀瑞穂さん（渋谷の学校で同僚でもある）から、朝日ソノラマ時代のレコード制作の話（音源を求めて北海道をさまよったことなど）をうかがう。いっぽう、北海道新聞の植村佳弘さん、鉄道少年時代を大いに語る。「ＳＬは人間にもっとも近い機械だ（人間だったとしかおもえない）」という趣旨の関沢新一の名言がある、と教わる。 小室さんは、明日から治療に専念するとのこと。ゆっくり養生し、良くなってください。
]]></content:encoded>
    <dc:subject>北海道</dc:subject>
    <dc:date>2004-06-06T01:04:02+09:00</dc:date>
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  <item rdf:about="http://maseblog.hpaorg.net/?eid=21171">
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    <title>掛川さんを訪ねる　（札幌）</title>
    <description>　（北海道から自宅へ戻ったのち、以下、数日ぶんの日誌をつける。）
　この日、午前１１時だいの羽田発AIR-DO、新千歳空港行きに乗り込む。
　到着ロビーで吉田ルイ子さん（初対面）、酒井広司さん（数年ぶり）、谷口雅春さん（数ヶ月前、神田神保町で会って以来） と...</description>
<content:encoded><![CDATA[
　（北海道から自宅へ戻ったのち、以下、数日ぶんの日誌をつける。）<br />
　この日、午前１１時だいの羽田発AIR-DO、新千歳空港行きに乗り込む。<br />
　到着ロビーで吉田ルイ子さん（初対面）、酒井広司さん（数年ぶり）、谷口雅春さん（数ヶ月前、神田神保町で会って以来） と遇う。酒井さんの車で札幌まで、その間にかるい乗り物酔い。小雨が降ったりやんだりの空模様。<br />
　北海道立文学館にて「掛川源一郎の20世紀」展を見る。 おもに50年代・60年代に撮られた写真が、時を経て、あらたな相貌をもって再出現。 すべてが酒井さんを中心とした札幌のチームによる新しいプリント（紙はレンブラント）、よくぞここまで漕ぎつけたものだ。 <br />
　堪能している途中で、次の予定へ。市内のマンションにおすまいの掛川さんその人をお訪ねする。丁寧なご挨拶に恐縮する。居室の空間が、写真と鉢植えの植物群、木彫などで満たされていた。いまも自宅近所などで撮影を日々続けておられるそうだ。<br />
　 奥様の柔和な物腰と表情に接して、一挙にいろいろなことが得心いった気がした。吉田さんが、アヴェドンから２００ドルでゆずり受けたというローライフレックスで掛川夫妻を撮影。<br />
　夜は、近郊の山にあるレストラン「やぎ屋」にて、翌日のイベントへむけた壮行会。入院中の小室治夫さんも登場、その他、顔見知り、初対面含め大勢あつまる。<br />

]]></content:encoded>
    <dc:subject>北海道</dc:subject>
    <dc:date>2004-06-05T01:02:35+09:00</dc:date>
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